2002年 事務局設置への背景

OB会運営の現状と問題点(2000年~2001年)

西暦2000年、我が旅研は総勢300余名の大所帯となり、OB会長22代山本浩司を中心とした、2代西川・22代向井・24代小林・26代名倉・27代荒川(敬称略)のメンバーのサポートの中、12月に創設35周年パーティーを京都第3タワーホテルで開催した。席上、会長山本は、「旅行研究会のポリシーを守るかどうかは、その時期の幹事長が決定せざるを得ない状態である。」と判断し、本来代々受け継がれるべきものが近年失われつつあるという強い危機感を表明した。

これは、旅行研究会のみならず、社会全体の「気質の変化」のひとつで、とりわけ、絆、和、上下関係、礼儀、挨拶、社交性、熱意、根性、行動力、表現力、持続力の減少は、日本社会全体の特徴であり、それらを踏まえて、龍谷大学旅行研究会のポリシーを上手に伝え、守ってくれるように導きたいと主張した。

たとえば‥
同窓会的な組織にして欲しいとの要望があることや、セクシャル・ハラスメント的行為、飲酒の強要行為があるとのことでOB会への積極的参加をしないOBの存在があるという指摘があった。
また、1999年OB会総会、33期が執行部34期に対立、現役OB(4回生)としてOB会総会に不参加であった。

OB会の問題点への対応(2000年~2001年)

会長を若い世代から全体を見渡せる西川さんにお願いし現役OBが幹事である現状を是正するため、幹事は22代以前の各期生より一名、執行幹事に22代以降の各期生一名、34期以降は幹事長もしくはその代の中心人物を選出し、名誉会長に初代・渡辺 輝夫氏、OB会会長に2代幹事長・西川 雅宏氏を選任し、山本会長の提案、現役学生の声を反映し得るOB会にするために、今後の計画・運営を実質的には、執行幹事で行うことが確認された。

その結果としてのOB会(2000年~2001年)

上記体制で今後の旅研のさらなる発展を期待して、大所帯となった旅研OB会を活性化させ、一堂に会すことができるような大号令を発していただくべく、OB会員多くに影響力を持つ2代西川さんに会長が選ばれ、また同時に運営を正常にもどすため、OB自身によるOB会の運営を提言されたのだと存じます。

しかし、その後約1年を経過し、執行幹事体制が十分に機能せず(反省にたった抜本的な対策・その活性化に対する具体的な対策がされることなく)、また現役会員からの要望、または指摘される状況の実態は調査されず、会長のカリスマ性も効果が十分伝わらないまま、昨年2001年のOB会総会開催が直前で中止となりました。

そのとき現場は?

以下当時頂いたメールです。(転載ご容赦)

先ほど、3回生のA君から電話があり、OB総会を中止にしたとのこと。龍祭での話のとおり、極端に出席率が悪く、会場を確保できなかったそうです。

「ちょっと待てよ、当日いきなり来るやつもおるんとちゃうん?」とも思いましたが、たった2名が出席のはがきを返しただけ、あとは出欠の意思表示すらせず、ウンともスンとも言ってこない……では、仕方のないことだと思います。彼らは「OBの人らは総会に関心がないのかなと思ってました」と言います。私の所に連絡があったのも、出席のはがきを出していたからです。

人は集まらん、会場確保の期限は来る、相談しようにも誰にしたらいいかわからん、中止の案内をしようにも郵送するカネもない……彼らも困っていたようです。0373さんと協議の結果、OB会長にだけは連絡するように指示をしました。(初代の渡辺さんには連絡済で、仕方がないねえっていうことやったそうです。)

連絡をしてきてくれたA君は非常に一生懸命な印象でした。私の印象では、OB会の運営に関して私達の助言を望んでいると思います。(以上は当時3回生・現4回生と大星さんのやりとりです)

OB会運営の現状と問題点(2001年~2002年)

35周年総会の山本会長の危機感発言以来、問題点は見えたものの、横の連絡(名簿の再構成)すら完璧でないことが判明。早期に組織の活性化にあわせ、OB側の連絡網の確立も急務であるとの結論。

OB会の問題点への対応(2001年~2002年)

断続的に私的なOB会

12月23日、梅田で忘年会と称し幾人かのOBが集い席上、「このままやったら、自然にフェードアウトやなぁ‥」との危惧に参加者全員がうなずき、いかにすべきを模索する中、「俺しかない」と声を上げた者が出現。

年がかわり2,4月に会合を持ち、5月に「今年はやるぞOB総会 決起集会開催!」とブチあげた者が登場した。

その結果としてのOB会(2001年~2002年)

決起集会

昨年秋の恒例のOB総会が、参加者少数のため中止という事態を受けて、「今年こそは絶対開催を!」という気運のもと、15~19代の有志が6月に集い、今秋の総会に出席しようという意志を確認する場を持った。

(仮設)平成14年度OB総会事務局、設置へ。

旅研名簿”ROBA”の再構成着手

現役執行部との打ち合わせを実施し、総会開催においての問題点を整理。また具体的作業(総会案内・作成、印刷、封入、発送、返信分集計)と当日の会計管理・総会進行は事務局側で、会場設定は現役執行部でと役割を分担した。

また、現役・OB間の情報伝達にEメールを利用することで最大限の時間短縮と効率化が図られた。またこの結果新たな試みとして、Eメール・ハガキによる参加表明者に招待状をも発送した。

現役の声(2002年、現3回生)

  • 現在OB諸氏への対応は現役執行部(3回生)が行っており、龍祭開催前の最繁忙期にOB会総会の準備・作業は負担が大きい。
  • 現役OBも卒業後の進路決定準備のため、OB会総会の準備・作業は負担が大きい。
  • 案内状送付するも、あて所不明の戻りが多い、返信が少ない(連絡がない)。
  • 会費の納入状況が悪い。
  • 少し前の代からの引継ぎが悪い。(OB会参加による悪印象)

要は、現役(3回生執行部)が龍祭準備で多忙の中、OBと十二分なコミュニケーションがとれず、また執行幹事側のOBも組織全体を把握することができていなかったことや、近年OB、現役OB、現役会員の職務分担と連絡がスムーズでないため、誤解を生じ、解決できないまま現在に至ったように判断できる。

この反省にたち、我が旅研OB会を活気ある集団、以前のような隆盛を誇ったクラブのOB会として復活させるには、いくつかの処方を企てる必然を強く感じた次第である。

全体を統括する責任者、各代から横断的に人選した事務局、最古参から超フレッシュまで即座に繋がるeラインを再興していくことと平行して、龍大旅研の学内影響力も増大していけば、きっとおおがかりな40周年式典で美酒にひたれると信じるものである。

OB会運営の現状と問題点(2002~)

非積極的OBの存在 ”OB会組織がある以上、その取り組みに協力せねばならない、できないまでも気持ちは惜しまない。”

管理人個人的には 今回総会の件がきっかけで電話ながら22代山本、また在学中には縁のなかった24代小林、26代名倉らと、いろいろ話す機会がもてたことは極めて有意義だった。

みんな日々家族・仕事に終われる中、忘れている旅研に関し、私が唐突に話題にするもので、”いったいなんですのぉー”という声を発しながらも、すぐに意を解して、同じ思いで熱く語りあえたのは時間は違えど同じ旅研を共有したからだと思う。

しかし、29期以降の33期までの会員の一部において、旅研への帰属意識はさきほどの”同じ旅研を共有した”メンバーとはかなりの温度差ができているとの認識は過去幹事長を経験し、周年総会をサポートしてきたメンバー共通の認識であるとのこと。

在学当時、クラブ運営に携わった者が(過去幹事長を経験し、周年総会をサポートした29期以降の33期までのメンバー)OBとしてその携わった旅研の”子孫繁栄”に関して、「どうしてネガティブになるんよぉおー?」!と、ぶっても、彼らの世代には「そんなん無いんですよ!」と、いわれてしまった。しかし、子孫繁栄の観点で、歴史を中断させるメンバーの存在は肯定できない。今年2002年総会では触れることなく終わったものの、今後尾を引く問題である。

OB会の問題点への対応(2002年~)

今OB会総会で事務局設置が確認された。
今回総会開催に尽力したメンバーが、西川会長が35周年のときに決めてくださった「OB自身によるOB会の運営」を結実するために、事務局の常任メンバーとして、1年間OB会を運営していくこととなった。

また今後事務局会合の開催はウエブサイト上で公開し、参加者を問わないと了解された。これにより、小規模での会合が頻繁に実行されるであろう。上記問題解決も探りながら、まずは話し合いからであろうか?
また、 OB側の連絡網の確立 一昨年12月の35周年時に開催されたOB総会で提案された各代の連絡網を確立もいそがねばならない。